こんにちは。はじめまして!
Wisdom Without Any Account へようこそいらっしゃいました。
今日から正式ブロガーdebutの Mizuki Nozue(野末 瑞樹)といいます。よろしくお願いします。ちなみにこんな顔をしています。
今回は、このブログを開設する目的を書きたいと思います。
つまり、今後、このWWAA(仮)カッコイイ略称募集してます)と皆さまがどのような関係を構築してくれると書いている僕が満足するかと言ったことを書きたいと思っています。
もちろん、読み手は神様、貴方(貴女)様、ということで僕の文章をいかように受け止め、ガッツり読むか、流し読むかは皆さまのご裁量にお任せすればこそ、僕にもそれなりに欲が・・(割愛。
まず、題:Wisdom Without Any Account の説明をすこしさせてください。
wisdom:知恵、知識
account:説明書
without:withの基本的意味は同伴、withoutはその逆を表し、「~なしで」という意味(Forest P.550参照)
つまり
wisdom without any account = 説明書のない知恵
という意味になります。
世には知恵やら、知識、見識、などと呼ばれるものがたくさん転がっています。
簡単にいえばそれらはすべて情報です。その質は良質のものから悪質のものまで、様々です。また、偏在もします。それらのwisdomをどの様に集め、どの様に理解し、自分のものとし、扱うか。過去の歴史を見れば、正しくwisdomを扱えた人はいたかもしれません。しかし、それが万人にとって可能であったかどうかを考えると「?」が付きます。そして今日、インターネットの普及によって情報は一瞬で世界にいきわたるようになりました。つまり、万人にwisdomを集める(wisdomの集合体にアクセスする)機会が与えられたのです。しかし、果たして万人がその機会を十分に活かし、wisdomを自身のものとしてうまく活用しているでしょうか?
こと、日本にいる限りにおいて、その機会を十分に活かしているとは到底思えません。
もちろん、少しの、希少で、能動的な人はこの機会を十分に活かしていることは間違いありません。けれども、大抵の日本人はそうではありません。
インターネットはどんどん進化、発展しています。どれだけの方々がその進化や、発展にcatch up しているでしょうか。
逆にいえばどれだけ多くの人が現在の情報流通の世界に満足していることでしょう。満足してしまうことは、なにも吸収しなくなるということです。満腹になったら箸は進みません。ある一定のwisdomに満足してしまったら、それよりも高度なwisdomを求める気にはならないのです。
もしくは、不満足であっても、何をどうしたらいいのか知らない、わからない人が多いのかも知れません。
むしろ、こっちの「現在の情報社会には不満足である」が「何をどうしたらいいかが分からない」人が大半ではないかと思います。
つまり、wisdom without any account ということなのです。
情報(wisdom)にはなんの説明書もありません。wisdomをどのように集め、どの様に理解し、どの様に発信すればいいのか。だれもそんなことは教えてくれません。もちろん、ある一定の扱い方を教えてくれる人もいるでしょう。しかし本質的には無理なのです。なぜなら1人1人が独立した、個別の人格を持っているからです。そのため情報は受け手によってその意味合いが変わってきます。
このWisdom Without Any Accountでは主に以下の視点に立って書きたいと思います。
- 思いつきを語る。
- 色々な文章を読んで受けた影響、考えたことを述べる。
- 夢を語る。
基本的に、みなさんにblogを読んでもらい何かしらの影響を与えられたらいいな、というスタンスで書いていきたいと思っています。時にはsuggestionし、時には疑問を投げかけ、時には手紙口調で文章を構成したいと思っています。私が日々、受け取る情報からどの様なことを思い浮かべたか、皆にどの様に思ってほしいかを書いていきたいです。想像力を使って書きたいと思っています。多少非現実的になったり、矛盾が生じるかもしれませんが、批判を恐れずにどんどん書いていきたいと思っています。
情報を利用するとはどういうことでしょうか?僕には答えはわかりません。簡単なことのようでそうではないように思います。今、情報流通の世界は劇的と言っていいほど激しい変化の途中です。これからはどうすることが「情報を利用する」ことの最も有効な手段になるのでしょうか。
このWisdom Without Any Account を通して、自分にとっての情報の取り扱い説明書を作れたらいいなと思っています。自分が得た情報を自分の中で消化、理解し、そして発信する。説明書が無いのは僕の中にあるwisdomにも言えることでしょう。あなたの中にも説明書のない部分があるはずです。説明書がなければ自分で説明するしかありません。
何に対して説明書を作っていくのか。どういった情報をもとに考えを作っていくのか。それを考えるとわくわくしてきます。
願わくば多くの人にこんな気持ちを味わって欲しいです。
僕の情報社会におけるキャリアは今日始まったばかり。
これから、私たち人間はどういった進化を遂げるのでしょうか。楽しみなようで不安なようで。先人の猿人類の方々はこのような社会を予想したでしょうか?それは当人に聞かなければわかりませんが、きっと未来に希望を持っていたことでしょう。
僕も未来に希望をもってがんばっていきたい。
最後に、稚拙な文章であり、誤字脱字もあるかもしれませんが末長くよろしくお願いします。
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